2006年 10月 29日
Au revoir NIHON-KAN
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今月かぎりでパリ国際大学都市の日本館とおさらばして、カトリーヌさん宅にしばらく居候する。
日本館は、1929年5月に竣工、出資者の豪商・薩摩治郎八の名をとって薩摩館とも呼ばれる。当時の外務省とかけあったが、金を出ししぶられ、結局全額を薩摩が負担したらしい。今と同じく、日本政府は芸術文化に気前が悪い。
講堂とエントランスホールの奥に薩摩から依頼された藤田嗣治の壁画がある。背景に金箔をほどこして人物群像と動物群をそれぞれ描いている。2000年に修復されて、きれいになっている。学術色の強い日本館唯一の美術作品。
設計は薩摩の知人のフランス人建築家ピエール・サルド。こいつが最悪。国際大学都市の中でもユニークなものにしようと力を入れたというが、プロポーションの悪い外観に中途半端な日本庭園。入口を入るとだらしない空間が広がり、入る前から身体感覚と眼をうばわれるル・コルビュジエのスイス館と圧倒的な落差。この際、図面をアップしておく。
日本館の中で唯一好きだったのは、僕の部屋の天窓から見えるパリの空。ずっと住み続けるなら何かモノにしたいと思っていたが、もうさよならだ。二度とここに来ることはない。大学都市全体のサイン計画やグラフィックはいいし、中央館やスペイン館の食堂は安くて遅くまで開いているので、またしょっちゅう来ると思うけど。
by peuleu
| 2006-10-29 16:56
| 亡兎生活